もしあなたが──

「広告では、社長の“人間力の高さ”や“優しさ”を伝えるべきだ」
「社員たちの“人徳”をアピールすれば、売上につながるはずだ」
「我々の社会貢献活動も、一緒に発信すればイメージが良くなるだろう」

──などと考えているのなら、今すぐその幻想を捨てよ。

広告とは、「いい会社」を演出するショーではない。
見込み客を動かし、売上という“具体的な成果”を生み出すためのビジネス装置である。

そのため、“良い人アピール”では、見込み客の購買意欲は1ミリも高められない。
調達担当者の心は動かず、決裁者の財布の紐も緩まない。
契約につながる可能性など皆無なのだ。

まず、断言しておこう。
広告に“美談”は不要だ。
むしろ、それは売上を遠ざける“毒”にすらなる。

あなたは、尊敬される人格者でいたいのか?
それとも、利益を出す経営者でいたいのか?
両立など幻想だ。その二択は、どこかで必ず分岐する。

あなたが「利益を出す経営者」を選ぶなら──
次に考えるべきは、「広告とは何のために存在するのか?」という問いである。

ここで、あらためて問いたい。
半導体企業にとって、“広告”とは何なのか?

それは、見込み客の「感情」や「利己的な動機」に、
ダイレクトに訴える“営業ツール”でなければならない。

そのため、「感動」「仲間愛」「美談」──
こうした“お涙ちょうだい型の演出”は、広告の世界では無力だ。
顧客に効くのは、次のような言葉である。

✔️「コストが下がる」
✔️「手間が減る」
✔️「トラブルがなくなる」
✔️「自分が出世できる」

つまり広告とは、見込み客の“本音”を刺激し、行動を引き出すための装置である。
当然ながら、企業の理念や社長の“美談”を、一方的に語り散らしても意味はない。

この前提を理解したうえで──
次に、実際に起きた“致命的な広告の失敗例”を見ていこう。

今回取り上げるのは、年商600億円を誇る印刷企業──
ラクスル株式会社が放った“失敗CM”だ。

「うちは半導体業界だから関係ない」
──あなたがそう考えたなら、それこそが致命的な勘違いである。

他業界の失敗を“笑い話”で終わらせてはならない。
同じような誤ちを犯せば、あなたの会社もまた、同じ末路を辿ることになる。

だからこそ、ラクスルの失敗を“他山の石”とし、
「本当に効果を生む広告とは何か」──その答えを、自社の戦略に落とし込め。

それこそが、経営者として果たすべき“本物の責任”であり、
売上という結果を掴み取るための、唯一にして最も正しい姿勢なのだ。

自己満足CM、大成功──社内も代理店も酔いしれた

印刷業界の雄、ラクスル。
2024年、彼らは、人気俳優・神木隆之介を起用したテレビCMの放送を開始した。
まずは、このCMを見てほしい。

ラクスルCMはこちら

CMの中で、神木はラーメン屋の店長を演じている。
店員2人に囲まれながら、こう問いかけられる──
「なんでチラシ印刷をラクスルに変えたんですか?」

その問いに対して、店長はこう答える──
「安いからに決まってんだろ。本当はその分、みんなの給料を少しでも上げたいんだよ」

──実に“イイ話”だ。
コスト削減を通じて、社員の給与に還元する。
それを聞いた部下2人は感動し、「ありがとうございます」とお礼を述べる。

神木隆之介の清潔感も相まって、
まるで“人間愛”に満ちた、優良企業の感動ストーリーとして仕上がっている。
そんな“美しい物語”に心を動かされたのは──視聴者だけではなかった。

CM放送初日──ラクスルのマーケティング担当者たちは、
「今回のCMで、我が社のイメージアップは間違いなしです!」と
胸を張り、誇らしげに報告メールを全社員に送っていたに違いない。

その勢いのまま、社内では派手な打ち上げパーティーが開かれ、
祝杯が交わされていたとしても──まったく不思議ではない。

社長や役員たちもご満悦。
グラスを片手に「次はもっと予算をかけよう」と、
その場のノリで即決していたかもしれない。

一方その頃──広告代理店の制作チームには、安堵の空気が漂っていたことだろう。
X(旧Twitter)で「神木くん、性格良すぎ」「カワイイ!」とバズっているのを確認し、
「よし、これで次も受注できる」と、ホッと胸を撫で下ろしていたに違いない。

“イイ話”が売上を殺す──自分ゴト化を欠いた広告の末路

ここで、はっきりと言おう。
このCMは──最悪の広告である。
なぜ、そう断言できるのか?

まずは前提を確認しておきたい。
CMの中で神木隆之介が演じているのは、“ラーメン屋の店長”。
つまり、中小企業の社長や個人事業主を象徴するキャラクターだ。

しかし、実際のところ──
中小企業の社長が「みんなの給料を上げたい」
などと考えている可能性は、限りなくゼロに近い。

というのも、彼らの頭の中は、日々の課題で埋め尽くされているからだ。
今日の売上、明日の資金繰り、納期対応、人手不足、顧客からの値下げ交渉……。
“徳の高い理想”を語っている余裕など、現場には存在しない。

だからこそ、このCMを目にした中小企業の経営者たちは、心の中でこうつぶやく。
「ふーん、いい話だね。でも……うちには関係ないな。」
──つまり、“他人事”として処理されてしまうのだ。

この広告の敗因は、まさにここにある。
視聴者に「これは自分のことだ」と感じさせることができなかったのだ。

広告が機能するかどうかは、
受け手が「これは自分のことだ」と感じられるか──その一点にかかっている。

視聴者が「これは自分のことだ」と思えなければ、
どれだけ美しく、どれだけ感動的なストーリーでも、売上には一切つながらない。
そして、自分ゴト化に失敗した広告は──ただの「良い話」で終わる。

そのため、あのCMを見て
「よし、ラクスルの印刷サービスを使ってみよう」と
行動を起こした中小企業経営者は、ほぼゼロだったに違いない。

なぜ、そう言い切れるのか?理由は明快だ。
中小企業の経営者が本当に求めているのは、
次のような“現実的な動機”だからである。

✔️「印刷費を下げた分、新たな設備投資費用に回したい」
✔️「とにかくキャッシュ(現金)を手元に残したい」
✔️「業務効率を上げて、自分の負担を減らしたい」

──こうした、利己的で、切実で、率直な願い。
これこそが、彼らの“リアルな欲望”である。

だからこそ、
広告とは本来、このような“生々しい悩み”に向き合い、
その解決策を、ストレートに提示するものでなければならない。

もちろん、大企業の経営陣であれば、
「社員の給料を上げたい」といった理想を掲げる余裕もある。

なぜなら、従業員満足が企業の競争力や
ブランド力に結びつくことを理解しているからだ。

だが、中小企業には、そんな余裕はない。
「今月をどう乗り切るか」「来月の資金繰りはメドが立つのか」──
そんな切迫した日々の中で、「社員の給料を上げたい」と考える余裕など、
あるはずもない。

つまり、こういうことだ。

「みんなの給料を上げたい」
──このセリフは、経営理念として掲げるなら美しい。
だが、広告の中で語られた瞬間、それは現実感を失った“的外れなメッセージ”になる。

広告とは、企業の理想や社長の人徳を伝える場ではない。
顧客の欲望を見抜き、それに火をつけ、行動を促すこと。

それこそが、広告に課された唯一の使命であり、
ビジネスの勝敗を左右する“分岐点”なのだ。

ラクスルのCM失敗は、他人事ではない

広告は映画ではない。視聴者にCMで“いい話”を伝えたいのなら──
TBSの「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」の制作チームに
でも連絡して、私費でドキュメンタリー番組を作ってもらえばいい。

CMで“美談”を語ったところで、見込み客の購買行動には一切つながらない。
そのため、そこに価値を見出すのは、完全な見当違いなのである。

必要なのは──
見込み客の頭の中で渦巻くドス黒く、利己的で、現実的な欲望を見抜き、
それをストレートに言語化すること。

「顧客の問題を、どう解決するのか」──
この一点を、明快に示せた者だけが、
見込み客の財布をこじ開けることができる。

つまり広告とは、きれいごとではなく、“顧客の欲望”に正面から応える営みである。
だからこそ広告は、見込み客の心を動かし、行動を引き出す──
成果に直結する、極めて現実的な“ビジネス装置”でなければならない。

そこには、“感動”や“いい話”といった情緒的な演出は、一切必要ない。
ましてや、“バズ”を狙って美談をでっち上げるようなCMなど──論外である。

最後に、もう一度はっきり言う。
広告は、見込み客の「興味」と「関心」を引くことに徹しろ。
“人徳アピールCM”を作って満足している場合ではない。

もしあなたの周囲に、
「美談CMがバズりました!」と笑顔で誇らしげに語る
マーケティング担当や広告代理店、制作会社がいるのなら──
彼らの広告に対する理解が“本質”からズレていることを疑え。
即刻、契約を打ち切れ。今後二度と、会社の敷居をまたがせてはならない。

油断は禁物である。
ラクスルのような大手企業でさえ、
マーケティングの原理原則から外れた広告を世に出しながら、
その誤ちにまったく気づいていないのだ。

あなたが「うちはラクスルとは違う」と、
どこか他人事のように感じているのなら──それが許されるのは、今この瞬間までだ。
ラクスルの失敗CMを笑い話で終わらせず、自社の“良き教訓”とし、次の一手に活かせ。

これこそが──
半導体企業が広告で勝ち続けるための、
絶対不変のマーケティング戦略である。